女性社員に対するマタニティハラスメントと言われないために ~妊娠を契機とする自由な意思に基づく退職合意~

1 はじめに

 雇用する女性従業員が妊娠したことを契機に、従前の業務に従事することが長期的に困難となったことから、女性従業員が会社を退職する場合の会社の対応について、TRUST事件判決(平成29年1月31日/東京地裁立川支部判決)を参考に、会社に求められる対応と注意点について解説いたします。
 妊娠判明前に従事していた業務の内容によっては、妊娠中及び出産後相当期間において、元の業務に復帰することが困難な場合があり、さらに、当該会社においては、他の業務での活躍の場面が見出しがたい場合には、退職(女性従業員自らが辞職したいと申し出る)という選択肢をとることが、女性従業員にとっても、会社にとっても望ましいということもあるでしょう。もっとも、女性従業員が、自由な意思に基づいて、退職の申し出を行うのであれば問題はありませんが、本当は元の会社で仕事を続けたかったにもかかわらず、会社側が退職を強要してきたなどとして、後になって会社に対し、労働契約上の従業員としての地位確認や、未払賃金の支払い請求を行ってくる危険性がありますので、会社には慎重な対応が求められることになります。TRUST事件判決は、まさに妊娠が判明した女性従業員の退職合意の成否が問題となった事案です。

2 TRUST事件判決の概要

 本件は、被告会社(以下「Y社」といいます。)に勤務し、建築測量や墨出し工事等に従事していた女性従業員である原告(以下「X」といいます。)が、自身が妊娠していることが判明したため、Y社の代表者Zに相談を行ったところ、これまでに従事してきた現場での作業業務を継続することは難しいとの判断に至りました。すると、Y社の代表者Zは、Xに対し、Xの生活保障的代替手段として派遣業を目的とする株式会社B社への派遣登録の提案を行ったため、Xは派遣登録の提案を受け入れ派遣登録を行い、その後、派遣会社から紹介されたY社とは異なる株式会社において業務を行うこととなりました。なお、Xは派遣登録を行ったものの、妊娠の関係もあり、派遣先における実際の勤務日数は1日のみでした。

 XがB社に派遣登録を行って以降、XはY社及びZに対し、2度にわたって、派遣会社登録後もY社の社会保険への加入を継続したい旨の申し出を行っていましたが、Y社からは明確な回答がなされることもなく、Xからの回答の督促に対しても回答は行われませんでした。すると、XがY社に妊娠の事実を相談し、派遣先での業務を開始してから約5か月後、Xは突然、Y社代表者のZから、Y社においてXがY社を退職した扱いになっているとの連絡を受けることとなりました。そこで、XはY社に対し、仮に自身がY社を退職したとするのであれば、退職に伴う退職証明書及び離職票を発行するようにとの請求を行ったところ、Y社は、退職理由を「一身上の都合」とする退職証明書及び離職票を発行しました。

 Y社による一方的な退職扱いを受けて、Xは、①退職合意の否認を主張し、労働契約上のY社従業員としての地位確認、②労働契約書記載の基本給を基準に計算した未払賃金の支払い、③自身の退職に関する取り扱いが、実質的に妊娠を理由とした解雇であって、男女雇用機会均等法第9条第3項及び第4項に違反し、Y社の不法行為であるとして、慰謝料150万円の支払いを求めて、Y社を被告とし提訴しました。
 Xの主張に対し、Y社は、Xから妊娠に関する相談を受けた頃の時点において、XとY社との間で退職合意があったとの主張を行い、仮に退職合意が認められないとしても、休職合意はあったものと考えられることから、未払賃金の算定期間について反論を行いました。

3 TRUST事件判決の争点及び裁判所の判断

 TRUST事件判決における争点は、①労働契約上の地位確認に対する退職合意の有無、②労働契約上の地位が確認された場合のY社が支払うべき未払賃金額、③Y社に不法行為責任が発生するか否か及びXに対する慰謝料の額の3点です。各争点に対する裁判所の判断について解説いたします。

 ①の争点について、裁判所は、退職は一般的に労働者に不利な影響をもたらすことを前提として、「(雇用機会均等法1条、2条、9条3項の趣旨に照らすと、)女性労働者につき、妊娠中の退職の合意があったか否かについては、特に当該労働者につき自由な意思に基づいてこれを合意したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか慎重に判断する必要がある。」との判断基準を示しました。
 そのうえで、裁判所は、本件における具体的な考慮要素として、Y社がXの退職を前提とするのであれば、XからのY社での社会保険への継続加入の可否に関する申し出に対して明確な説明が一切なされていないこと、退職届の受理すらされておらず、客観的具体的な退職手続が実施されていないこと、Xから妊娠の相談を受けた際に、Y社及びZが、Xの産後について何ら言及していないこと、XがY社に対して退職証明書及び離職票を請求し、自主退職ではない旨の認識を示していたこと等を総合的に考慮しました。
 その結果、Xにおいては、Y社及びZに妊娠の相談を行いB社への派遣登録を行った頃において、産後のY社への復帰可能性のない退職であると実質的に理解する契機がなく、B社への派遣登録についても、XにおいてはY社に残るか、退職の上派遣登録するかという選択を迫られていたと理解する契機もなく、検討するための情報も不足していたと認められることから、Xの退職が、Xの自由な意思に基づく選択であったとは言い難いと判断しました。
 したがって、裁判所は、XとY社との間には、退職合意が成立したとは認められないとの判断を示したことになります。

 ②の争点について、未払賃金額を算定するにあたり、裁判所は、XとY社との間に休職合意が成立したか否かを判断し、休職期間についても検討しています。
 休職合意の有無については、①の争点のように明確な判断基準が示されたわけではありませんが、派遣先で働くというZからの提案に対し、X自身も当面の間派遣先で働き、出産後にY社の職場に復帰するという意図を有していたことが認められるとして、XとY社との間で休職合意が成立していたと判断しました。
 そのうえで、Y社からXに対し、Xが退職扱いとなっている旨の通知がなされた時点において、Y社の責任においてXの職場復帰が確定的に不可能となり、労務提供ができない状態になったとして、通知がなされた以降は、民法536条第2項に基づき賃金債権が発生すると判断しました。

 ③の争点について、裁判所は、「仮に派遣会社に登録し休職扱いにするという当該取扱いにX本人の同意があったとしても、妊娠中の不利益取扱いを禁止する男女雇用機会均等法第9条第3項に該当する場合があるというように、同項が広く解釈されていることに鑑みると、休職という一定の合意が認められ、さらに、仮に、Y社側が、Xが退職に同意していたと認識していたとしても、当該労働者につき自由な意思に基づいてこれを退職合意したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に認められない以上、Xの意思を確認することなく退職扱いとしたY社には、少なくとも過失がある」として、Y社に不法行為の成立を認めました。
 もっとも、裁判所は、Y社が、現場作業業務に従事していたXが妊娠によって元の業務を続けられないと考えていたとしてもそれ自体は不合理ではなく、X自身も一定期間は現場作業業務をしないことは了承していたことが伺われること、及び、派遣会社とY社の両方にXが在籍している状態だと、派遣先の選定、受け入れに支障が出る可能性があることを考慮して、Y社がXを退職扱いにしたと考えられること等が考慮され、Y社は、Xに一方的に不利益を課す意図はなかったと推察される等として、慰謝料150万円の請求に対し20万円の限度で慰謝料を認容しました。

4 TRUST事件判決を踏まえて会社側に求められる対応について

 TRUST事件判決を踏まえて、会社側は、妊娠を理由とした退職合意を取りつける際の合意の方法及び態様について、特に注意する必要があるといえます。①の争点として裁判所が示した判断基準をご紹介したように、妊娠中の退職合意が認められるかについては、当該労働者につき自由な意思に基づいてこれを合意したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在することが必要となります。
 そこで、自由な意思に基づき合意したことが客観的に認められるためには、どのような対応が求められるのでしょうか。万が一労働者が自由な意思に基づいて自ら退職を決めたか否かが訴訟で争われることになった場合には、会社側においても自由な意思に基づく退職であることを立証しなければなりません。
 会社側に求められる対応としては、まず、労働者に退職届を作成のうえ提出してもらう必要があります。労働者自身が作成した退職届の存在は、客観的に自由な意思に基づく退職であることを推認させる事情であるといえます。
 もっとも、単に退職届を取り付けるだけでは、退職届の作成状況が不明であり、会社側の指示のもと強引に退職届を作成させられたとして、自由な意思に基づかないと判断される危険性があります。そこで、退職届を提出してもらうまでの協議の経過を記録し、資料として保管しておくことが必要であると考えます。例えば、退職する労働者とあらかじめ面談を複数回行い、退職以外に会社側が提案できる対応(休職や業務内容の変更等)、及び、その場合における待遇などについて説明を行ったうえ、労働者の退職の意思を聴取することが有効であるといえます。労働者が退職の意思を有しているのであれば、退職を希望する理由や、退職後の予定についても確認を行うべきと考えます。さらに、これらの面談及び労働者との協議の内容については録音を行い、面談録を作成しておくことで、自由意思に基づく合意であることを示す客観的な証拠として取り扱うことができるといえます。

5 さいごに

 ここまで、TRUST事件判決を参考に、妊娠に基づく女性労働者の退職合意を取り付ける際の会社側に求められる対応について解説してまいりました。会社様におかれましては、様々なハラスメント対策が求められる中で、マタニティハラスメントへの対策も講じなければなりません。妊娠に伴う女性労働者の退職の際には、特にマタニティハラスメントにならないように注意が必要となりますが、今回ご紹介したものは、有効な対策の一つであると考えます。
 当事務所では、多数かつ多様な顧問先企業様のマタニティハラスメント対策に関するサポートをさせていただいてきた実績がありますので、将来の労使紛争の火種を作らないよう適切にサポートさせていただくことが可能です。
 すでにハラスメント対策を講じている会社様におかれましては、現在の対策で十分な対策ができているかご確認いただくとともに、追加の対策の必要性などについて、お気軽にご質問いただければと存じます。また、まだ十分なハラスメント対策が確立されていない会社様におかれましては、どのような具体的対策が必要になるのか等について、お気軽にお問い合わせください。

波多野 太一 弁護士法人フォーカスクライド アソシエイト弁護士執筆者:波多野 太一

弁護士法人フォーカスクライド アソシエイト弁護士。
2022年に弁護士登録。企業・個人を問わず、紛争や訴訟への対応を中心に扱い、企業間取引においては契約書等の作成・リーガルチェックといった日々の業務に関する法的支援も多数取り扱っている。
また、相続や交通事故に伴う個人間のトラブルや、少年事件や子どもに関するトラブル等も多数取り扱っている。
企業・個人を問わず、困難に直面している方に寄り添い、問題の解決や最大限の利益の追及はもちろん、目に見えない圧倒的な安心感を提供できるように努めている。

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