性同一性障害を有する労働者をめぐる裁判例⑴

第1 はじめに

 昨今、日本における性的少数者をめぐる状況が変化しています。
 同性婚については、台湾では、2019年5月にアジアで初めて同性婚を認める法律が施行されましたが、日本でも、2019年2月項、同性婚を認めていないことは憲法に違反するとして、全国で国家賠償訴訟が提起され(いわゆる「結婚の自由をすべての人に」訴訟)、本記事を執筆している2023年4月26日現在、控訴審で審理が続けられています(同訴訟の詳細は、裁判情報 結婚の自由をすべての人に訴訟(同性婚訴訟) | 結婚の自由をすべての人に – Marriage for All Japan -参照)。2015年4月に初めて渋谷区で設けられた同性パートナーシップ制度は、2023年3月23日時点で全国271地方自治体が導入するに至っています(日本のパートナーシップ制度 | 結婚の自由をすべての人に – Marriage for All Japan -参照)。また、性自認については、印鑑証明書の性別欄や職員採用選考の申込書から性別記載欄を削除する自治体や入学願書に性別記載を不要とする公立小学校が登場し、急速に増加しています。企業については、同性パートナーに対しても、法律婚と同様に福利厚生の対象とするなど、ダイバーシティを促進する流れが推進されています。
 このように、日本における性的少数者をめぐる状況は、従前と比べれば、変化がみられますが、まだまだ十分とはいえず、性的少数者は社会生活において様々な悩みを抱えています。本記事では、全2回に分けて、性同一性障害を有する労働者をめぐる裁判例を取り上げ(第1回目は服装、化粧に関する裁判例、第2回目は通称、トイレ利用に関する裁判例)、そのような労働者が抱える悩みが顕在化する事案を把握するとともに、企業にはどのような対応が求められているのかを検討いたします。

第2 性同一性障害とは

 そもそも、性同一性障害とはどのようなことをいうのでしょうか。
 性同一性障害(Dysphoria/Gender Identity Disorder; GD/GID)とは、性別の自己認知(Gender Identity; 心の性)と身体の性(Sex)が一致せずに悩む状態をいうとされています(性同一性障害 | 泌尿器科の病気について | 名古屋大学大学院医学系研究科 泌尿器科学教室)。生まれが男性であって、所属する性別とは異なる性(例えば女性)であると認識している状態をMTF(Male to Female)、逆に生まれが女性であって、所属する性別とは異なる性(例えば男性)であると認識している状態をFTM(Female to Male)と呼びます。なお、性同一性障害としばしば混同される概念として「トランスジェンダー」がありますが、あくまで性同一性障害は医学的観点からみた概念であるのに対し、トランスジェンダーは自己の身体の性に対し違和感を覚える人々を総称する言葉であり、「トランスジェンダー=性同一性障害」とはならない点に注意が必要です。例えば、自己の身体的性別に違和感を持ちつつも、身体的性別の変更を望まず、医学的支援を必要としていない人はトランスジェンダーではありますが、性同一性障害ではありません。
 法律は、性同一性障害を次のように定義しています。すなわち、性同一性障害の性別の取扱いの特例に関する法律第2条は、「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているもの」と定義しています。そして、同法第3条1項は、①18歳以上であること、②現に婚姻をしていないこと、③現に未成年の子がいないこと、④生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること、⑤その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること、の5つの要件のいずれにも該当する場合に、家庭裁判所の審判により性別の変更をすることができると定めています。

第3 性同一性障害に関する配慮の必要性

1 服装(S社解雇事件・東京地決平成14年6月20日)

⑴ 事案の概要

 性同一性障害(MTF)を有する労働者(X)が、女性の容姿で就労することを使用者(Y)に求め、実際に女性の容姿にて就労しました。これに対して、使用者は、当該労働者に対し、女性の容姿をしての就労を禁止し、自宅待機を命じました(以下では、「本件服務命令」といいます。)。しかし、当該労働者は、本件服務命令に従わずに、女性の容姿をして出社を続けました。使用者は、本件服務命令に従わなかったこと等を理由に当該労働者を懲戒解雇しました。
 使用者が主張した解雇事由の1つである本件服務命令違反行為について、裁判所は次のように判断しました。

⑵ 裁判所の判断

 裁判所は、「一般に、労働者が使用者に対し、従前と異なる性の容姿をすることを認めてほしいと申し出ることが極めて稀であること、本件申出が、専らX側の事情に基づくものである上、X及びその社員に配慮を求めるものであることを考えると、Yが、Xの行動による社内外への影響を憂慮し、当面の混乱を避けるために、Xに対して女性の容姿をして就労をしないよう求めること自体は、一応理由がある」として、女性の容姿をして就労を禁止する本件服務命令自体は適法と読める判断をしました。
 そのうえで、裁判所は、X側の事情からすれば、「Xは、本件申出をした当時には、性同一性障害(性転換症)として、精神的、肉体的に女性として行動することを強く求めており、他者から男性としての行動を要求され又は女性としての行動を抑制されると、多大な精神的苦痛を被る状態にあったということができる」、「XがYに対し、女性の容姿をして就労することを認め、これに伴う配慮をしてほしいと求めることは、相応の理由があるものといえる」ことや、「女性の容姿をしたXを就労させることが、Yにおける企業秩序又は業務遂行において、著しい支障を来すと認めるに足りる疎明はない」こと等を踏まえ、本件服務命令違反行為が懲戒解雇に相当するほどでもないと判断しました。

⑶ 企業に求められる対応

 上記裁判例は20年近く前の判断であり、性同一性障害をはじめとする性的少数者に対する理解が進んでいると考えられる現在において、女性の容姿をしての就労を禁止する本件服務命令が適法(決定文には「一応理由がある」と記載されています。)と評価されるかは疑問があるところです。
 いずれにせよ、性同一性障害を有する労働者が女性の容姿で出勤することについて会社に配慮を求めることには相応の理由があると判断されているように、企業としてはこのような性同一性障害を有する従業員に対し一定の配慮をすることが必要です。そして、上記裁判例のように、性同一性障害を有する労働者から、見た目と異なる制服を着用したいとの申入れがあった場合には、企業秩序や業務遂行に支障を来すかどうかという視点が参考になります。企業においては、単に使用者側の事情や視点のみで、安易に見た目と異なる制服の着用を禁止することなく、性同一性障害を有する労働者側の事情をも十分に汲み取り、見た目と異なる制服の着用を認めると、どのような理由で企業秩序又は業務遂行において支障を来すことになるのかを具体的に検証した上で、当該労働者にその内容を丁寧に説明することが重要であるといえます。

2 化粧(淀川交通(仮処分)事件・大阪地判令和2年7月20日)

⑴ 事案の概要

 性同一性障害(MTF)を有するタクシー運転手(X)が、化粧をして乗務していました。これに対して、使用者(Y)は、Xの化粧等を一般の乗客が不快に思っている、Xが男性である以上化粧をしてはならない、性同一性障害を「病気」でありXでは乗車できない、具体的にどうするかはXが考えるべきで、他社で乗務するのも方法の1つだ、という趣旨の発言等をしました。Xは、Yに対して、これらの発言等により就労を拒否されたと主張しました。
 なお、Yの就業規則には、「身だしなみについては、常に清潔を保つことを基本とし、接客業の従業員として旅客その他の人に不快感や違和感を与えるものとしないこと。また、会社が就業に際して指定した制服名札等は必ず着用し、服装に関する規則を遵守しなければならない」と規定する「身だしなみ規定」がありました。また、Yは、女性の化粧を同規定違反と認識していませんでした。

⑵ 裁判所の判断

 裁判所は、「社会の現状として、眉を描き、口紅を塗るなどといった化粧を施すのは、大多数が女性であるのに対し、こうした化粧を施す男性は少数にとどまっているものと考えられ、その背景には、化粧は、主に女性が行う行為であるとの観念が存在しているということができる。そのため、一般論として、サービス業において、客に不快感を与えないとの観点から、男性のみに対し、業務中に化粧を禁止すること自体、直ちに必要性や合理性が否定されるものとはいえない」としつつも、Xのような性同一性障害者が「外見を可能な限り性自認上の性別である女性に近づけ、女性として社会生活を送ることは、自然かつ当然の欲求であるというべきであ」り、「女性乗務員と同等に化粧を施すことを認める必要性がある」、また、「Yが、Xに対し性同一性障害を理由に化粧することを認めた場合、上記のとおり、今日の社会において、乗客の多くが、性同一性障害を抱える者に対して不寛容であるとは限らず、Yが性の多様性を尊重しようとする姿勢を取った場合に、その結果として、乗客から苦情が多く寄せられ、乗客が減少し、経済的損失などの不利益を被るとも限らない」等として、Yによる就労拒否はYの責めに帰すべき事由によると判断しました。

⑶ 企業に求められる対応

 この裁判例もまた、上記1の服装に関する裁判例と同様に、一般的に男性に対して禁止することが可能であっても、性同一性障害者の労働者(戸籍上の性別は男性)についてまで同様に解すべきではないという意味で、性同一性障害を有する労働者に対する配慮を求める判断といえるでしょう。
 企業においては、単に使用者側の事情や視点のみで、安易に性同一性障害を有する労働者に対して不利益処分をするのではなく、労働者の身だしなみは労働者の人格または自己の外観をいかに表現するかという労働者の個人的自由に関する事柄であることをも踏まえ、慎重に対応する必要があります。

第4 さいごに

 以上のとおり、性同一性障害を有する労働者が抱える悩みは、人格権に関わるものであるため、企業においては、企業秩序を維持確保するための各種規程や指示・命令が当該労働者の権利を侵害することのないよう配慮する必要があります。
 当事務所は、多数かつ多様な企業様の日々の労務管理について豊富な経験がございますので、就業規則等の各種規程の整備や日々の業務指示・命令等に関しお悩みがございましたら、お気軽にお問い合わせください。

山野 翔太郎 弁護士法人フォーカスクライド アソシエイト弁護士執筆者:山野 翔太郎

弁護士法人フォーカスクライド アソシエイト弁護士。
2022年に弁護士登録。遺言・相続、交通事故、離婚・男女問題、労働、不動産賃貸者などの個人の一般民事事件・刑事事件から、企業間訴訟等の紛争対応、契約書作成、各種法令の遵守のための取り組みなどの企業法務まで、幅広い分野にわたってリーガルサービスを提供している。

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