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医療法人における労務管理には一般的な会社と共通する部分もありますが、特有のものもあります。本稿では、医療法人の看護師労務トラブルである修学費用の返還と患者から暴力を受けた場合の安全配慮義務違反について解説させていただきます。
医療法人が費用を支出して、看護師(労働者)に技能を習得させる場合に、修学費用を貸与する形式をとり、修学後一定期間勤続することでその返還義務を免除する契約をすることがあります。このような契約は、不当に長い期間の就労を強制することを禁ずる労働基準法第5条・第14条の趣旨や、損害賠償額の予定を禁ずる労働基準法第16条の趣旨に反するとして、労働者の退職の自由を不当に制限するかが問題となります。以下では、労働者に認められる退職の自由と、これを一定程度制限する修学費用の貸与契約の有効性の判断要素についてご紹介します。
雇用期間の定めのない、いわゆる無期の労働者は、原則として2週間の予告期間をおけばいつでも労働契約を解約することができます(民法第627条第1項)。また、期間の定めのある、いわゆる有期の労働者は、「やむを得ない事由」がない限り、一方的に労働契約を解約することはできません(民法第628条)。もっとも、労働基準法第14条では、有期の労働契約を締結する場合の期間は、原則として3年(ただし、医師や薬剤師を含む一部の者については5年)を超えてはならないと定められており、労働者が雇用関係に不当に長く拘束されることを防止しています。
また、民法上、当事者間の契約等において損害賠償額の予定を定めることは可能とされていますが、労使間の交渉力に格差があることに鑑みて、過大な損害賠償額の予定などによる、強制労働や労働者の使用者への従属を避ける必要があると考えられることから、損害賠償額の予定は禁止されています(労働基準法第16条)。
したがって、労働者は、労働基準法及び民法に退職の自由が保障されており、これを不当に制限するような修学費用の貸与契約は、後述するとおり、当該法令に違反するとして無効と判断される可能性があります。
修学費用の貸与契約がどのような場合に有効、無効と判断されるかについて、明確な要件は裁判例上提示されていませんが、①「業務性」の程度(業務命令の有無・資格等の活用先等)、②契約締結の経緯・内容を総合的に判断されることになります。
ア ①の「業務性」について
①の「業務性」に関しては、例えば業務上必要な資格や研修について、業務命令で取得又は受講させている場合、その資格試験や研修などは業務性が強いと考えられます。このような費用は、使用者が負担すべきであり、労働者が 本来負担すべきでない費用という側面が強いため、このような費用を貸し付ける旨の契約は、前記2(2)の労働者の退職の自由を不当に制限するものであると判断される可能性が高いといえます。逆に、労働者が取得した資格等が、労働者個人に帰属するものであり、その職場を離れても労働者が自由に使えるものである場合などは、当該資格取得のための費用は、労働者本人が負担すべきという性質が強くなるといえます。
イ ②の貸与契約締結の経緯及び内容について
貸与された金額の多寡や、貸与金の返還義務が免除されるまでに必要とされる就労期間、契約の締結が労働者の自由意思によるものか否かなどが考慮されます。一般的に、貸与金額が大きく、 返還義務が免除されるまでに必要な就労期間が長ければ長いほど、労働者の退職の自由を不当に制限するものと判断される可能性があります。
貸与契約が無効と判断された場合、本来であれば、無効な契約に基づいて交付した金銭ですから、不当利得として返還請求することが考えられます。しかし、裁判例では、労働基準法第16条違反により無効となった契約に基づいて交付した金銭は、返還請求ができないとされております。
看護学校への入学金の貸与について、裁判例では、貸与を受けないと看護学校への入学を認めず、貸付けを強制していることを重視して無効と判断されたものがありますので、修学費用の貸与を行う場合には、入学者の自由な意思で貸与を受けられるように、十分な配慮を行う必要があると考えられます。また、修学中に貸与元の医療法人でのアルバイトを認めつつ、他の病院でのアルバイトを禁じるなど、他の病院との接触を断つというものも卒業後の勤務を確保する目的での貸与であったと認定されやすくなるため、避けるべきと考えます。
また、返還義務の免除までの期間を不必要に長くせず、貸与の金額も必要最低限に抑えるなど、退職の自由が不当に制限されている状態とならないように制度 設計することが重要といえます。
医療法人に限らず使用者は、労働者に対する安全配慮義務を負っており、労働者が、その生命及び身体等の安全を確保しつつ労働をすることができるよう配慮するものとされています。医療法人に安全配慮義務違反がある場合、医療法人が労働者たる看護師から債務不履行に基づく損害賠償を請求されることがあります。
医療法人において、看護師の生命及び身体等が害される場合としては、せん妄状態、認知症等により不穏な状態にある入院患者から暴行を受けて傷害を負うような場合が考えられます。そこで、本項では、具体的にどのような場合に医療法人が安全配慮義務違反を理由とした損害賠償責任を負うことになるかについて解説いたします。
労働契約上の安全配慮義務とは、「労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務」と定義づけされています。そして、労働契約法第5条では「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」との規定が設けられ、労働契約上、使用者が安全配慮義務を負うことが立法により明らかにされました。
かかる安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求が認められる要件は以下のとおりです。
① ある法律関係に基づいて特別な社会的接触関係に入ったこと(社会的接触関係)
② 安全配慮義務が存在し、これに違反したこと(安全配慮義務違反)
③ 損害が発生していること(損害の発生・損害額)
④ 因果関係があること
本稿では紙幅の都合上、②の安全配慮義務違反が認められるか否かの要件に限定してご紹介いたします。
安全配慮義務の内容については、個別具体的な状況に応じて判断されますが、患者からの暴行に関しては、これを予防すべく、厚生労働省による通達(「医療機関における安全管理体制について(院内で発生する乳児連れ去りや盗難等の被害及び職員への暴力被害への取り組みに関して)について」平成18年9月25日医政総発第0925001号)が出されており、こちらに記載されている安全管理体制の整備の方策を講じているか否かが一つの判断の目安になると考えられます。
・ 安全管理体制に対する病院の方針の明確化
① 安全管理に対する病院の方針のあり方を明確化し、病院全体で取り組むべき課題として位置づける
暴力被害の実態把握、当該実態調査結果に基づく協議の実施、当該協議にて定められた方針の職員・病院利用者への周知・掲示等をする。
② 安全管理体制整備に係る経費について検討する
経費の範囲内で効果的な防犯設備・システムの導入を行うとともに警備会社・警察等に設備・システムへの助言を相談・依頼する。
・ 予防:暴力事件等発生のリスクを低減する
① 安全管理に関する職員の意識を高める
② 防犯設備(防犯カメラ、電子ロック等)・システムの拡充を可能な範囲で行う
防犯設備の導入範囲の設定、職員に防犯ベル等の非常時にすぐに応援を求められるような装備の携帯、安全管理上特に重要と考えられる場所への防犯ブザーの設置、防犯カメラ・電子ロック・警備会社の提供する緊急通報システムの導入、警察による定期的な巡回の依頼等をする。
③ 警備員の配置の充実と、病院職員との連携促進を図る
④ 暴力事件等を起こす患者・家族への対応を検討する
暴力をおこす患者・家族、おこす可能性のある患者・家族に対する対応方法を決めておき、安全管理対策マニュアルに明示する。また、患者の権利とともに、院内ルール順守、医療・看護への協力等についての文章を掲示し、守らない場合には退院や診療を断る等の対応を行う場合があることを明示する。加えて、問題のある患者を診療しないことが応召義務違反にあたらないよう、対応の経緯を全て記録しておく。
・ 事件発生時及び事後の対応
① 暴力事件等が発生した際には、直ちに関連機関に連絡する
② 報道機関への対応窓口・方法を決める
③ 病院の機能回復を図るとともに、被害者、職員のケアを行う
④ 再発防止策を検討する
・ 安全管理対策マニュアルの整備と職員教育の実施
① 安全管理対策マニュアルの整備と定期的な改訂を行う
② 職員教育の充実を図る
このような安全管理対策を実施することで常に安全配慮義務違反を防ぐことができるという訳ではないですが、他方で対策を実施していなければ常に安全配慮義務違反となるというものでもなく、実際には、個別具体的な状況に応じて、講じるべき対策の程度は自ずと異なってきます。しかしながら、対策を実施しておくことで安全配慮義務違反が認められるリスクを確実に低下させることはできるため、費用面との兼ね合いで導入できるところから対策を講じていくと良いと考えます。
本稿では、医療法人の看護師に特有の労務トラブルのうち、修学費用の貸与金返還の問題及び患者から看護師に対する暴行により医療法人が損害賠償請求を負うかについて解説いたしました。両トラブルに共通する事情としては、当該事案が発生する可能性はそれ程高くないかもしれませんが、貸与契約締結時に退職の自由を不当に制限しないような内容としたり、暴行事案に備えた安全対策マニュアルを策定したりするなどの事前の措置が非常に重要なところです。事前に対策を講じておけば、そもそも問題となる事態が生じる可能性自体低くなる場合もあり得、問題となったとしてもその影響を可能な限り少なくすることができると考えます。
当事務所では、日常的に医療法人の担当者の方から看護師の労務トラブルに関するご相談をお受けし、迅速にアドバイスをさせていただいておりますので、お気軽にご相談ください。
執筆者:新留 治
弁護士法人フォーカスクライド アソシエイト弁護士。2016年に弁護士登録以降、個人案件から上場企業間のM&A、法人破産等の法人案件まで幅広い案件に携わっている。特に、人事労務分野において、突発的な残業代請求、不当解雇によるバックペイ請求、労基署調査などの対応はもちろん、問題従業員対応、社内規程整備といった日常的な相談対応により、いかに紛争を事前に予防することに注力し、クライアントファーストのリーガルサービスの提供を行っている。