2024.11.20

桝井 知子

私が弁護士を志すきっかけになったのは、伯母の医療問題でした。

毎年健診を受けていたにもかかわらず、ある時、かなり進行した状態で病気が発見されたということを聞き、「理不尽だ」と感じてしまう思いをぶつける手段はないものなのか、医師は適切な措置や説明を尽くしていたのだろうか等、色々と調べ考える過程で、弁護士の役割を具体的に知ったことが、弁護士という仕事に興味を持つきっかけになりました。

他方で、私は大学卒業後、大手電機メーカーに就職し、海外事業部門において、事業計画の立案、マーケティング等、海外法人の営業支援業務に従事しておりましたが、その業務の中で、社内弁護士と連携する機会があり、ビジネスを法律の面から支援することに大きな関心を惹かれました。

その他にも色々な出会いやきっかけを経て、法曹に転身し、現在に至っております。
弁護士になってからは、中小企業法務、一般民事事件のほか、離婚、相続等の家事事件も多数経験してまいりましたが、これまでの経験から実感していることは、クライアントの置かれている状況は様々であり、その状況をどこまで深く理解できるかが、リーガルサービスの質に直結するということです。

時代の変化はとどまることがありませんが、とくに、昨今はAI関連技術の急速な発展と普及、労働人口の流動化等によって社会が激動している時代であると思います。そのような中、ビジネスや個々の分野で奮闘されているクライアントの置かれた状況の理解に努め、寄り添い、それぞれの真のニーズにお応えできるよう、尽力してまいりたいと考えております。

2023.01.06

鈴木 龍司

私が法律家を目指した理由を聞かれた際にいつも話すのは、私が小学生のころのある記憶です。

小学校の教室では、プリントを配布する際、教室前方の教卓の上にクラス全員分のプリントを乗せ、一人一枚ずつとっていく、という方法がとられることがあると思います。

私が覚えている光景の中では、ある時、そのようにプリントが配られた際、クラスのみんながわっと教卓に集まってしまって、なかなかスムーズに全員にプリントが行きわたらない、という状況が生じていました。私の記憶にあるのは、それを私が教室後方から眺めている、という状況です。私は、なんだか納得がいかない、適切でないような気持ちでそれを見ていたように思います。

その後中学、高校と進学し、さらに大学で法学を学ぶにつれて、“世の中の人たち自身にとって、ルールを守ったほうがメリットがより大きい場面がある”ということをより明確に考え、感じるようになりました。(ルールというのは、他人から押し付けられ、自分の利益を犠牲にして守ることを道徳的、倫理的に命じられる窮屈なもの、というイメージが強いと思いますが、そうではない場面もたくさんある、ということを学んでいきました。)

そして、私自身がルールの担い手となり、世の中の人々がもっと円滑に、納得して生活を送ることができるよう貢献したい、と思ったことが、私が法律家を志した理由です。

2022.12.26

山野 翔太郎

私は、大学で法学を学ぶ楽しさや法学の担う役割の大きさの魅力を知り、法律家になることを目指しました。

法学部に入るまでの私は、法律の勉強というと、分厚い六法全書の条文を読んだり、覚えたりするというようなイメージを持っていました。しかし、法学部で勉強するなかで、より大切なことは、条文がどのような経緯でつくられ、それが実際どのように解釈され、社会で起きる様々な事象に適用されているかを見極めることであると知りました。そしてさらに勉強を続けていくうちに、法律という道具を使い、一つ一つの出来事の基礎となる事実に向き合い、条文を解釈し、解決の道を検討することを楽しいと感じるようになりました。

また、法学は現実の社会と密接に関わっているがゆえに、人々の悩みを引き受けて、正義を実現することが期待されているということも知りました。法律家の中でも弁護士は、依頼者が持つ悩みを共有して、それを法的な構成に組み立て、関係する人たちの納得を得るために説明を行うことで正義を実現しようとします。何か困っている人々の助けに少しでもなれる仕事に就きたいと考えていた私にとって、弁護士という職業は魅力的に映りました。

大学でのこのような経験を経て、弁護士になることを志しました。

2022.12.26

波多野 太一

私が法律家を目指したきっかけは、高校時代にスポーツエージェントという職業の存在を知ったことにあります。スポーツエージェントとは、スポーツ選手に代わってチームとの契約や移籍の交渉を行う代理人を指します。

スポーツエージェントに興味を持った理由は、私が幼少期から野球、サッカー、バスケットボール、テニス、アメリカンフットボール、水泳等、多くのスポーツに触れて育ってきたからでした。将来はスポーツに携わる仕事がしたいという漠然とした思いがあり、スポーツに関する知識や経験の豊富さと、探求心が活かせるのではないかと思いました。

大学時代には、神戸大学アメリカンフットボール部に所属し、選手として4年間を過ごしました。身も心も大きく成長することができた4年間でしたが、3年生の時に、チームはそれまで21年間守り抜いてきた関西アメリカンフットボール1部リーグから2部リーグに降格してしまいました。それに伴い、契約していたプロのコーチ陣のほとんどがチームを去り、神戸大学アメリカンフットボール部は学生のみでチームを運営する学生主体のチームに生まれ変わりました。

チームの改革は奏功し、私自身も含め部員一人一人が自分のやるべきことを考え、主体的に行動し、結果としてチームは1年間で1部リーグに復帰することができました。このような経験から、チームの体制や環境がスポーツ選手に与える影響の大きさを、身をもって体感し、プロとして活動できる期間が決して長くないプロスポーツ選手にとっては、その影響は一層大きなものになると思いました。そこで私は、自分が弁護士として、契約や移籍という重大な局面に直面するプロスポーツ選手に寄り添い、手助けをしたいと思うようになりました。

このようなきっかけで弁護士を目指した私ですが、法科大学院での活動や就職活動を踏まえ、私は、スポーツの場面に限らず、ビジネスや日常生活における重要な局面で困難に直面している人に寄り添い、問題を解決する手助けをしたいという思いが根幹にあることに気付きました。

「お客様にとことん寄り添い、些細な悩みや心配事であっても共有し、お客様と共に困難に立ち向かい、そして最後には問題を解決し共に笑い合う」、そのような弁護士になれるよう、日々精進してまいります。

2021.05.17

藏野 時光

私が法律家を目指した理由は、中学時代に見たとあるニュースにあります。
中学時代、私は、ニュースを見ながら家族と会話をすることが多かったこともあり、ニュースを通じて社会を知ることが好きでした。私は、将来、社会のルールを作る政治家になりたいと子供ながらに考えていました。

私は、あるとき、青色発光ダイオード訴訟に関するニュースを見ました。そのニュースは、この訴訟について、会社が青色発光ダイオードに関する技術の発明者である従業員に対して支払った発明の対価が著しく低額であったことから提起された訴訟である旨説明していました。私は、このニュースを見て、「会社で働いて成果を出した者には、正当な対価が支払われなければならないのではないか」と思いました。
私は、会社が正当な対価を支払うようになるためには何が必要なのかを調べました。そうすると、私は、会社が従業員に支払う対価に関して法律に規定があることに気が付きました。このとき、私は、法律を作る国会議員になり、より厚く従業員を保護する法律を作りたいと考えました。

しかし、大学に進学し法律学を勉強する中で、私は、「良い法律を作るためには、まず法律を使いこなせなければならないのではないか」と考え始めていました。従業員を保護するためには、その一人一人と向き合い法律を使う必要があるのではないかと考えていたのです。
そのようなとき、ある講義を受講し、教員が「弁護士は、法律という道具を使い、想像力を働かせて依頼者の価値観を実現する存在である。」と言うのを聞きました。私は、この言葉を聞いて、弁護士こそが法律を使いこなし従業員を保護できる存在なのではないかと考えました。

私は、弁護士になり法律を使いこなすことで、従業員が自らの働きに見合った正当な対価を得られるよう手助けしたいと考えるようになりました。その後、私は、この考えを一歩進め、企業に法的支援を行い経営者の価値観を実現すれば、企業の業務が円滑に遂行され、その企業に勤める従業員の待遇改善につながるのではないかと考えました。
このようにして、私は、企業の経営者に対して法的支援を行う弁護士になりたいと考えるようになりました。私にとって、これが弁護士の道への第一歩でした。

2021.05.17

新留 治

私は自身の進路に悩んでいた高校生の頃、父の知人の弁護士の方と1対1でお話しする機会をいただきました。その弁護士の先生は、「弁護士とは、ただ法廷で依頼者の言うことを声高に主張するのではなく、ときには依頼者と相手方との間に第三者的な立場に立って、紛争を鎮静化したり、紛争化するのを予防したりすることも大事な仕事の一つですよ。」と教えてくださいました。元来、喧嘩や争いを好まない性格だった私は、紛争を予防化することもできる弁護士という仕事に興味をもち、弁護士を目指すべく法学部に進学することを決めました。

法律の勉強を進めるうちに、法律の役割は、単にある行為を禁止したり強制したりすることではなく、その意味や定められた経緯を踏まえて、条文を解釈し、可能な限りできることとできないことを線引きすることにあると理解しました。そして、その線引きのための解釈にも、必ずしも絶対的な正解があるわけではなく、時代によって、状況によって、人によって異なります。ここに、法律の難しさがある一方で、ある種の「自由さ」もあり、私は、この法律の「自由さ」をもって、人を助けられるような弁護士になりたいと思うようになりました。

実際に弁護士として仕事を始めてから、法律自体や条文の解釈が依頼者の方々にとって、有利に働く場面もあれば、不利に働く場面もあり、さらには一概に有利とも不利とも言い難い場面まであると分かりました。私は、たとえ有利な場面でも驕ることなく不利となるリスクがないかを考え、不利な場面でも常に有利となる事情が何かないかを模索することで、依頼者の方々にご満足いただけるよう、あらゆる方策をご提案させていただきます。

「これは法律の問題かなぁ」「これはさすがに認められないんじゃないかなぁ」と思われることでも、まずは一度ご相談ください。

2021.05.17

櫻井 康憲

私が法律家を目指したきっかけは、中学生の頃、自身の通っていた中学校に講演にいらっしゃった弁護士の方のお話を聞いたことです。

その弁護士は、「私は人類すべてを幸せにすることができるわけではないが、法律を活用して、自分の周りで人知れず困っている人の助けになることはできると考えています。私はそういう一隅を照らす人間になりたいと考えて弁護士になりました。」とおっしゃっていました。

その言葉を聞いて、私は自身の仕事に誇りを持ってお話をされている姿に憧れを抱き、弁護士を志しました。

その後、大学にて企業法務を学ぶ中で企業の活動の面白さを実感し、中でも新たな社会課題に取組み、社会を変えていくベンチャー企業に興味を持ちました。

自らベンチャー企業を立ち上げることも考えましたが、これまで学んだ知識を活かして多くの企業に関わりたいと考え、自ら起業するのではなく、起業を志す又は既に起業された方々のサポートをしたいと考えるようになりました。

大学院でも企業法務を専攻し、司法試験合格後はベンチャー企業のサポートを専門的に行っているフォーサイト総合法律事務所に入所し、実際にIPOの現場でベンチャー企業特有の法的問題を解決し、研鑽を積んでまいりました。

私は世の中すべての企業のサポートをできるわけではありませんが、人知れず悩みを抱える経営者の皆様を全力でサポートし、かつて憧れた弁護士と同じように、一隅を照らす人間になりたいと考えております。

些細なお悩みでもお気軽にご相談ください。

2021.05.17

金井 周一郎

私は、中学生のとき、神戸で起きた児童連続殺傷事件の犯人が自分と1つしか年齢が変わらなかったことから、「なぜ、自分と1つしか年齢が変わらない少年が、このような犯行を行ったのだろうか。」という疑問が生じ、少年事件に関心を抱くこととなりました。

そして、高校生のとき、弁護士である大平光代先生の「だから、あなたも生きぬいて」という本を読み、非常に感動するとともに、少年には環境要因が非常に重要であり、環境調整に関わることが出来る弁護士を目指そうと考えました。

大学では、少年法のゼミにおいて、少年院、児童相談所等の訪問だけでなく、家庭裁判所の裁判官、検察官、少年事件を扱っている弁護士の方との面会、また、県警の方と協力した少年補導ボランティアへの参加という様々な経験が出来ました。

そのような経験を経て、やはり、弁護士という仕事が、少年事件において最初から最後まで関わることが出来、やりがいのある仕事だと実感しました。

現在、実際に少年事件をしていますが、少年は、様々な悩み、問題を抱えています。心掛けていることは、少年から、じっくりと話を聞いた上で、時には少年の親と、時には学校の先生と、時には少年の職場の方と、少年の更生のためにどのような環境を整えることが一番かを議論して考え、実際に環境調整を行うこととなります。

私としては、少年に、自らのことを考え、心配してくれる大人がいることを、少しでも実感してくれれば嬉しいと思い、日々、行動しています。

2021.05.17

伊藤 良太

私は、何かドラマチックな経験から弁護士を志したわけではありません。

両親から、手に職を付けるよう諭されたことや、ご近所に皆から尊敬される弁護士がいたこともあるでしょうが、町工場を経営する両親のもとで育ち、会社に就職して働くことのイメージが持てなかったことも影響したのでしょう。今思えば、野球部のキャプテンや生徒会長をするような天邪鬼な青年でしたので、弁護士という職業の持つ敷居の高さに、魅力を見出していたのだと思います。

このように、志した理由自体は乏しいのですが、幸いなことに、その後の多くの経験を経て、そのぼんやりとした憧れは、明確な志となってゆきました。例えば、ロースクールの教授陣、特に実務家教員として招聘された弁護士たちの、弁護士業のやりがいを熱く語る表情。講演で聞いた、谷口太規弁護士の、「医師は流れる血を止めるが、弁護士は血が流れないようにする仕事」という言葉。奈良での修習中、指導担当だった高野嘉雄弁護士(故人)の、「更生に資する弁護」という信念に貫かれた圧倒的な弁護活動。

私自身は、彼らのように確固たる信念を持つに至ってはいませんが、これまでの素晴らしい出会いが、今の私を形作っています。これからも、目の前のお客様や案件と丁寧に向き合い、将来の自分の姿を楽しみにしながら、歩んでゆきたいと思います。

2021.05.16

佐藤 康行

私が法律家を目指した理由は、中学時代にまで遡ります。私には温かい家族もいましたし、決して裕福ではなかったものの公立学校には通わせてもらえる環境でした。ただ、恥ずかしながら、中学2年生の私はいわゆる「不良」に憧れ、約1年間、「不良」とレッテルを貼られたメンバーと交友関係を持つようになりました。
そのような生活を過ごしていたある日のこと、メンバーの1人が少年院から出所した翌日に、「また明日犯罪をして、少年院に入ってくる」と言ったのです。私たちメンバーは当然止めましたが、彼は「俺だってこんなことをしたくない。美容師になりたい。夢を追いかけたい。でも、そんなことより、明日の飯の方が心配や。少年院にいれば、明日の飯を心配することなく毎日3食の飯が出てきて、暖かい布団もある。職業訓練までしてくれる。こんな恵まれた環境はない」と言ったのです。

私にとって彼の言葉は驚愕でした。みんな、不良に憧れて、こんな生活をしていると思っていたからです。それと同時に、「少年院は何をしているのだろう?」とふと疑問に思いました。少年院に入所している間は、いろいろと更正に向けて活動していても、少年院の外の世界、すなわち家庭環境や生活環境を改善しなければ意味がないからです。私は中学生ながら、「これってこのままでいいのかな?何とかしないといけないんじゃないのか?」と思いました。

このような経験を経た後、私は大学の法学部で少年法の講義を受講した際、まさに少年院から出所した後も少年の家庭環境などの改善に注力している弁護士と出会い、ふとしたきっかけで興味を持ち始めていた法律と、中学2年生の時に抱いた「何とかしないといけないんじゃないのか?」という想いが強くリンクして、「1日でも早く弁護士になって、全ての子ども達が夢を追いかけられるスタートラインに立てるようにしてあげたい!」と思うようになりました。私にとって、これが弁護士の道への第一歩でした。
そして、弁護士になるための勉強を進める中で、私は憲法第13条と出会いました。国家を縛る「憲法」の中に、“個人の尊重”と“幸福追求権”が真正面から規定されていることを知り、生まれた環境等に関係なく、誰もが個人として尊重され、幸せを追求する人権をもっているということに感動し、何度も憲法第13条の内容をかみ締めたことを昨日のことのように覚えています。憲法を知った者の責任として、必ずこの憲法の価値を実現していかなければならないという強い使命感を持ち、日々の業務及びその他の様々な活動にあたっております。
そして、これからも一生、この想いだけは忘れずに、弁護士として、また1人の人間として生きていきます。

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